収穫感謝祭から故人のための礼拝まで

3 weeks ago | nac news | in the group Japan (English)

北半球では、10月を「黄金月」と呼ぶことがあります。夏が過ぎてもまだ太陽の日差しが降り注ぎ、夕暮れは美しく、木々の葉はきれいに色づきます。まさに時期こそ、神様による被造物のすばらしさを改めて感じさせます!

「お姉ちゃんがクモ殺しちゃった!」弟は怖がって泣き出してしまいました。お母さんは二人を横に座らせて、自然の奇跡を教え、すべての生き物が神様の被造物であることを言い聞かせます。このことをお姉ちゃんはしっかり理解します。物事によっては大人よりも子供の方がきちんと理解できることもあります。神様の被造物においてはその一つ一つに、役割というものがあります。人間にもあります。無益な人間などいないように、無益な植物(雑草を含め)もありません。すべてのものが無類の被造物なのです。しかし人間はこの地上で寄留者に過ぎませんから(詩119:19)、注意と敬意とをもって被造物を扱うべきです。被造物を破壊するのではなく、保護するために最善を尽くすべきです。最近では、全人類――私たち一人ひとり――がこぞって被造物への侵害という罪を犯し始めている印象があります。空気、水、土壌の扱いに何の注意も払わず、こうした神様からの賜物を汚染して、生命の秩序そのものを破滅の危機に陥(おとしい)れているのです。「私たちが神の僕の額に刻印を押すまでは、大地も海も木々も損なってはならない」と聖書に書いてあります(黙7:3)。これは私たちへの明確なメッセージです。クリー族というアメリカ先住民によって時代を超えて受け継がれてきた格言に、次のようなものがあります。「最後の木が切り倒され、最後の川が汚染され、最後の魚が食べられた後で、はじめてお金が食べられないものだということに気付く。」

黄金律

10月第二日曜日の礼拝説教では、「黄金律」を検証します。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタ7:12)。当たり前のことのように思えるのではないでしょうか。自分だけでなく人のことも考えた方が良い、というのは、常識でもあります! しかし状況はいつもそう単純ではありません。「日常生活の中でどうすればキリスト者としての生活を歩むことができるだろうか。」「自分のことしか見ていないだろうか。他の人たちのことも見えているだろうか。」気の利くキリスト教徒ならばそういった問題意識を持ちます。こうした疑問に対する答えは簡単であると同時に、とても難しいのです。イエス様が私たちを遇(ぐう)されるのと同じように、私たちも隣人をもてなすようにしなければいけません! この点において、マタイによる福音書に書かれている次の言葉は、役に立ちますし、大切なことです。「目に見える自分のきょうだいを愛さない者が、どうして目に見えない神を愛することができようか。」誠実な気持ちによる慈善は、観客から拍手喝采を受けるショーとは違うのです!

偽りがなく、欺(あざむ)きがなく、自己中心でなく、ごまかしがなく、恥をかかせることがなく、差別もない人生。もしそれが実現できれば、なんと素晴らしい人生でしょうか!

自由を…

10月第三日曜日の礼拝説教は、紅海を渡ったモーセとイスラエルの民が賛美した昔の詩に焦点を当てます。「主は私の力、私の盾、私の救いとなられた。/この方こそ私の神。私はこの方をほめたたえる。/私の父の神。私はこの方を崇(あが)める」(出15:2)。これは神様への感謝と畏敬の歌です。自由と救済をテーマにしています。というのは神様が、イスラエルの人々をエジプトによる捕囚状態から解放されたのです。これは神様にしかできないことだったのです。こんにちのキリスト者に当てはめれば、イエス・キリストによる犠牲を通して罪の呪縛(じゅばく)から購い出してくださった神様への、感謝の歌ということになります。この購いを果たせた人は、他に誰一人いないでしょう!

…すべての人に

こうして罪や咎(とが)から解放されると、この世の人生の先にあるものが開けてきます。11月最初の故人のための特別礼拝では「全人類への購い」がテーマとなりますが、この礼拝に向けた準備を促します。「しかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:20)。神様は、全人類がイエス様について行くための機会を得られるようにしてくださいます。御業を完成させ、イエス様に従うすべての人が、イエス様と永遠の交わりに入れるようにしてくださいます。

(9月28日nac.todayより)

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