しるしの解釈を信任しない

2 weeks ago | nac news | in the group Japan (English)

何かぞっとする現象が起きると、キリストの再臨が近い証拠だ、と考えませんか。こうした考え方に対して、主使徒は最近、しるしの解釈を試みても必ずうまくいかない、と述べております。

現代史は、救済史が最近置かれている立場について、私たちにはっきりしたことを示しているでしょうか。ある現象を、キリストの再臨が近いという根拠とすることに、意味があるでしょうか。この問題については、教役者向けの刊行物「礼拝指針」2018年特別第2号を基本として「コミュニティ」(国際本部発行版)及び「私たちの家族」の最新号で扱われています〔日本語版は4月号に掲載予定〕。

理解のための手がかり

旧新約聖書共に、神様は歴史を通じて、働きによって御自身を現しておられます。このことははっきりしています。救いの御業において中心となった出来事は、旧約であればイスラエルの人々に対するエジプトからの解放であり、新約であればイエス・キリストによる神の擬人化であります。

確かに、「時が満ちると」といった表現によって、救済史と世界史は結びつきます。しかし、遭遇する特定の条件に言及することは絶対にありません。理解するための手がかりは、事実に基づく証拠ではなく、ただ信仰によってしか見出すことはできないのです。

このことは、再興された使徒職にも言えます。使徒職の再興によって救いの歴史が新たな段階――そしてこの段階もある時期が来たらキリストの再臨をもって終結します――を迎えたことは事実ですが、天からの働きかけによって、使徒職が新たに任職されていることを、信じる人でなければ、この事実を認識することはできません。

証拠を探して

キリストの再臨を知らせるしるしとは何でしょうか。この疑問は、すでに弟子たち自身によって提起されています。そしてこの疑問に対して、イエス様は、いわゆる送別説教としてお答えになりました(マタ24/25章、マコ13章、ルカ21章)。ここで終末時代を示すものとして挙げられているのは、戦争、災害、偽教師、キリスト教徒への迫害――そして全世界への福音宣教――であります。

「聖書の言葉を詳しく検証すれば、そこに書かれていることを具体的な史実と結びつけることは不可能だ、ということがわかるのです。」ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、このように明言しています。

  • 自分の生きている時代がとてつもない、無類の時であるから、キリストの再臨の明らかな兆候に違いない、という思潮は、今に始まったことではなく、歴史を通じて存在していました。
  • しばしば焦点がヨーロッパだけに絞られて、他の大陸で起きた歴史的災害について、すべて忘れられる傾向がありした。
  • 今自分の住む場所で起きていることのほうが、昔起きたこと――そして今後起きるであろうこと――よりも、あるいは外国や他の大陸よりも、ひどい、あるいは我慢しきれないものであるとは、誰一人断言はできません。

以上のことを踏まえ、主使徒は次のように総括しています。「歴史上の出来事はすべて、キリスト再臨の必要性を意味しています。」

信仰をしっかり維持する

歴史上の出来事を根拠として解釈しようとすることについて、主使徒は次のように批判しています。「キリストの再臨を信じるために何らかの確認が必要だ、と考えているようだ。神様が御自分の約束に忠実であることを信任しないとの同じだ!」

ですから、しるしを求めることは、新約の証しに矛盾するのです。例えばイエス様は御自分の権威を、律法学者やファリサイ派の人たちに示すことを、はっきり拒否しておられます(マタ12:39)。パウロも、奇跡や理屈による証しよりも、信仰の重要性を指摘しています(一コリ1:22-23)。

シュナイダー主使徒はこう強調します。「世の中で恐ろしい出来事が起きているからといって、キリストの再臨が近いとかまだ先だとかを推論することはできません。必要なことは、聖書の証しと使徒職を信じることです。この信仰をしっかり守りましょう。信仰の土台となるものはただ一つ、イエス・キリストの約束です。」

(1月7日付ナックトゥデイより)

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