言動を通じてキリスト者――待降節のあり方

3 days ago | nac news | in the group Japan (English)

教会でいうところの旧年度が終わりました。新しい教会暦の始まりです。待降節は、ただすばらしい歌を歌い、クリスマスツリーを準備し、この時期にふさわしい雰囲気を楽しんだりするだけではありません。待っている時期は、行動する時期でなければならないのです!

待降節に行われる礼拝は、いつも特別です。よく知られている歌がたくさんあります。クリスマスツリーを用意し、飾り付けをします。子どもたちは――大人もそうですが――この期間中、特別なことを期待します。今年の新使徒教会は、待降節のテーマを「世の光」とします。これテーマは「私は~である」という御子による有名な宣言を借用したものです。

振り返らずに、前を見よう!

「これはなんということだ!」バビロンの捕囚だった人々が、彼らの愛するエルサレムの町に帰還した時の落胆ぶりは、容易に想像できます。1日の礼拝は混乱のエルサレムをテーマとします。当時のイスラエルの人々にとって、最も暗い時期の一つです。神様の町が廃墟と化し、破壊されし尽くされてしまったのです。人々は元気を失い、希望を失い、歩むべき道筋を失いました。解放されたイスラエルの人々はバビロンを離れて、向かった先が無秩序の世界だったというわけです。しかし神様がそんな彼らを再び励ましてくださらなければ、神様とは言えません!預言者を通して新しい栄光の時代を約束されたのです。「見よ、闇が地を覆い/密雲が諸国の民を包む。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる」(イザ60:2-3)。ですから現代のキリスト者たちも勇気を出しましょう。この新しい時代の輝きは、キリストの犠牲です。キリストの犠牲はこの世に恵みと赦しをもたらしたのです!

闇よりも光

待降節は記念と期待の時期でもあります。待降節第三週は、シメオンとアンナの行動に焦点を当てます。シメオンは敬虔な人で、約束されていたメシアの誕生を毎日待ち望んでいました。女預言者であったアンナは、決して神殿を離れることがなく、毎日神様に仕えていました。敬虔であること、そして神殿にとどまること――この二つはこんにちのキリスト者にとっても望ましい姿勢と言えます。私たちにとって、待降節は行動の時であって、暇つぶしの時ではありません。

賛美し、感謝し、善い業を行う

待降節の第四週は、賛美と感謝、そして隣人への福利を中心に考えます。神様に感謝する理由はたくさんあります。中でも最も大きな理由の一つは、人類を救済するために御子をこの世に遣わしてくださったことです!賛美歌を歌ったり感謝の言葉を述べたりすることだけが、神様への賛美ではありません。行動を通じて感謝を示し、愛をもって隣人に向かいましょう。言動を通じてキリスト者であること――これこそ待降節のあり方なのです!

神様は人類を愛しておられる

神様は人類と親しくされ、また愛してくださいます。こんにちにおいてこのことははっきり見て取ることができるのです!これが今年のクリスマスメッセージです。私たちは、キリストの犠牲によって贖われ、キリストから教えていただく真理に満たされています。ですから私たちは、神様に愛をもってお仕えすることによって、神様に感謝するのです。恐れずに言動を通じて、福音という明るい光を宣べ伝えるのです。神様が親しく接してくださること、人類を愛してくださること、言葉において行いにおいて憐れんでくださることを宣べ伝えるのです(二ペト2:9)。これについてジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は次のように述べております。「このクリスマスメッセージを真剣に受け止めるならば、私たちは、神様の人類に対する愛を否定する一切の物事に対抗するよう努めます。」

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