キリストの再臨を、日々願う――シリーズ2/2

6 days ago | nac news | in the group Japan (English)

信仰に目覚めても、それと同時にいくつかの課題も突きつけられます。「主の再臨を語るためにそうすべきでしょうか」とシュナイダー主使徒は問題提起し、そのヒントをいくつか提供しております。

「話を聞いてもらうためには、使徒パウロのように、聴衆の立場に立たなければいけません」と主使徒は説いています。これを実行するための処方が、コリントの信徒への手紙一9章20~23節に書かれています。この処方は、日常生活でイエス様の再臨を伝える伝道者だけでなく、信徒も活用できます。

しるしではなく、約束を信じる

主使徒は次のように述べています。「私たちが主の再臨を信じるのは、イエス様が再臨を約束し、聖霊がその約束を私たちに宣教しておられるからです。そして確信をもってこう述べています。「イエス・キリストの復活と昇天と同様に、イエス・キリストの再臨も信じることによって理解できます。主は、再臨する時期を、御自身でさえ決めることはできない、と言われました。」ですから「時代におけるしるし」について語ったり、戦争、地震、飢饉、迫害を終末時代の始まりと見なしたりするのは間違っています。こうした出来事は過去どの時代でも起きてきました。こんにちでも起きています。だからといってこれをキリストの再臨が近い証拠と見なすことはできません。

逃避ではなく、達成

シュナイダー主使徒は次のことをはっきりと述べています。「神様が提供してくださる救いは、私たちが所有する有形の物を改善したところで到底かなうものではありません。神様は私たちを御自身の御国へと導き入れてくださいます。そこにおいて悪やその具現化したもの(苦しみ、不法、欺瞞、偽善、憎悪、死)は追い払われます。神様が永遠の命をくださるのです。」さらに次のことも指摘しています。「私たちはこの世から逃避したり、これから起こる大異変を回避したりしようとしているわけではありません。私たちにとって、御国に入ることは、逃避ではなく、達成なのです。」

平和や正義は神様のおかげであって、人の成果ではない

善意ある人々が努力を結集することによって、一定の期間、そして一定の共通項を持つ人間の中で、平和や正義や福利を定着させることはできる(かもしれない)ことは、否定しません。しかし神様だけは、古今を通じて御自身が執り成されることによって、すべての時代におけるすべての人々の助けとなることがお出来になります。御子の擬人化によって、神様は人類史上唯一直接的に執り成されました。そして次の執り成しは、イエス・キリストの再臨であり、力と大いなる栄光のうちに、初穂と共においでになります。その後に、最後の裁きが行われるのです。

望むべきは恵みであって、働きではない

再臨の時、主は必要な成熟状態になった選民を御許に引き上げることしかなさいません。その御判断がなされることを考えると、私たちはそのために真剣に準備しなければならないわけですが、心配するようなことではありません。私たちは、主が与えてくださる恵みを、全面的に希望します。主はこの恵みを、主との交わりを心から求めることによって生気を受けている信徒に対して、お与えになります。

終点ではなく、出発点

イエス様は花嫁を御許に引き上げ、御国において小羊の婚宴を催されます。花嫁とは愛による交わりという観念を表し、婚姻とは喜びと分かち合いという観念を表します。しかしこれによって永遠の休息が見込めるわけではありません。花嫁になった人たちには、特別な務めが与えられます。それは、千年の平和王国においてすべての人類に福音を宣べ伝えることです。

易しいことばかり?

「決してそんなことはありません」とシュナイダー主使徒は明言しています。イエス様が再臨されるという約束をいただいているからといって、しかるべき熱意が喚起されるわけではありません。これだけは指摘せざるを得ません。その理由はいくつもあります。

  • 終末時代を予告する解釈に誤りが散見されたこと
  • 多くの人々の生活状態が向上し、神様のことより、経済や社会の発展に依存する人が多いこと
  • 私たちが宣教している出来事が(キリストの再臨、死者の復活、千年の平和王国)、超自然的性格のものであるため、こんにちいる大多数の人々への伝道を困難にしていること
  • イエス様が再臨されて裁きを行うことによって、人々の選り分けが起こるかもしれない、ということを、受け入れるだけの重要性が低下していること

「だからといって、私たちは宣教の務めを止めてはいけません。主の再臨が近いことを宣べ伝える務めは、果たさなければなりません。」主は最後にこう締めくくっています。

背景:「私は、主が昇天されたのと同様に必ずまたおいでになり、主の来臨に希望を託しそのために自らを整えてきた故人や存命者たちを、初穂として御許に引き寄せて下さることを信じます。また、天における婚姻の後、主がその初穂と共に地上にまたおいでになり、平和の御国をお建てになることを信じます。そして、初穂たちが王の祭司として主と共に御国を治めることを信じます。平和の御国の終結後、主は最後の審判を下されます。そして神は新しい天と新しい地をお創りになり、御自分の民と共に、永遠に住まわれます。」(新使徒信条第九条、新使徒教会教理要綱)

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