この世の果実と聖霊の結ぶ実に感謝

il y a 12 jours | nac news | dans le groupe Japan (English)

たった一房のぶどうで、収穫感謝を表現するのですか。いつもたくさんのいろいろな種類の果物があるのに、それらはどこへ行ってしまったのでしょうか。今回は、ほんのちょっとした字句にこだわることで、収穫感謝祭の感謝が二の二乗になる、というお話です。

収穫感謝祭は、沈思黙考と感謝の祭日、実りの祭日です。世界中で収穫時期が異なるため、お祝いの時期もまちまちです。北半球では一般的に、10月や11月が収穫感謝祭です。

収穫感謝祭はほぼすべてのキリスト教会でお祝いされ、祭壇にはいつにない装飾が施されます。収穫感謝祭の日にその地域では成長しない果物もあります。それがぶどうです。ぶどうはぶどう酒の象徴なのです。聖書を理解している人なら、その関連が分かります。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハ15:5)。

自然界の成長と人間の内なる成長

実(み)は成長、収穫、産出の象徴です。実を結ぶというのは、新しい人が成長することを象徴しています。バプテスマによって、私たちは新しい人を着なければいけません。つまりキリストを信じることによって、大いなるものを成長させなければならない、ということです(コロ2:2-3, 3:2-9)。この過程を、神様は聖霊の賜物を通じて可能にしてくださいます。聖霊は人の中に、新しく高潔な命を与えてくださいます。

「さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です」(コロ3:14)。これは人間的な愛ではありません。人間的な愛も驚くようなことをもたらすことがありますが、ここでは天来の愛です。天来の愛は、聖霊を通じて人の心に注がれます(ロマ5:5)。聖霊は信徒を奨励鼓舞されます。

聖霊の結ぶ実

この天来の愛は、どのように現れるのでしょうか。聖霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であり、これを否定する律法はありません。」ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節には、このように聖霊の持つ九つの特徴を挙げています。

使徒パウロはローマの信徒への手紙で、たくさんの特徴を挙げています。(そしてこんにちにおいてはこれが、聖霊の結ぶ実には様々な種類がある、などと都合良く誤解されることがよくあります。)しかし聖霊というかごがあって、そこから好きな「実」を持って行ってよい、優先順位を自分勝手に決めてよい、ということではありません。ギリシアの原文では「カルポス」と書かれています。これは一つの事柄や活動の成果ないし結果を意味する語です。聖霊の結ぶ実はいくつもあるなどと述べている箇所はどこにもないということは、聖書翻訳者や解説者には、昔も今も、知られていることなのです。聖霊の結ぶ実は、いつも一つです。Le fruit de l’Esprit.  El fruto del espíritu.  Fructus autem Spiritus. つまり、聖霊はお一人であり、その結ぶ実も一つである、ということです。

三の三乗の徳

お一人の聖霊、一つの実。これが聖霊の導きのもとで現れる特徴であります。この実はキリストの本質であり命です。キリスト者の内でこの本質と命を形作らなければいけません。使徒パウロはガラテヤの信徒への手紙で、徳を列挙していますが、これらは普通、三つずつにまとめることができます。

  • 愛に関して三つの部分からなる成長:自己犠牲的、普遍的、慈悲の愛(アガペー)。外的要因とは独立した、人間の存在そのものを定義する、永遠且つ感謝の喜び(カラ)。イエス・キリストによって与えられる、平穏と安心とをもたらす平和(エイレーネー)。
  • 隣人に対する三つの部分からなる成長:赦し、譲り、挑発に耐える忍耐(マクロースミア)。積極的且つ慈悲を伴う親しさ(クレストテース)。下心がなく真心からの親切(アガスオスネー)。
  • 人の姿勢としての三つの部分からなる成長:信頼を促す忠誠(ピスティス)。賢明で服従的な穏やかさ(プラウテース)。一切の快楽を抑える自制心(エンクラーティア)。

選ぶのではなく、すべて実践する

最後に、ここでいう「実」という言葉は、いわゆるいくつかの果物が入ったかごの中から一つを選ぶのではなく、こうした様々な側面の徳が同じ水準で成長するよう努める、という意味です。「聖霊が永続的に人の内に臨在されることによって、地上での人生において、奥深く大きな効果がもたらされる。聖霊が活動できる環境を整えることによって、天来の徳が成長するのである」(教理要綱8.3.9)。

聖霊の結ぶ実とこの世の果実に感謝

収穫感謝の日は、神様に感謝する機会を、私たちに与えてくれます。この世の賜物にも霊の賜物にも感謝を献げます。特に、聖霊の賜物をくださったことに、改めて感謝する機会でもあります。

しかし収穫感謝は、この世の賜物そして霊の賜物について、私たち自身の関わりを検証する機会でもあります。どちらの賜物も、使い果たすべきではありません。私たちの裁量で使えるものについては、他の人が必要としていることも注意し配慮する必要があります。シュナイダー主使徒は今年の収穫感謝に向けて次のように述べています「この世的そして霊的に豊かであることによって、私たちはキリストにあって善い業を行えるようになります。」聖霊の結ぶ実とこの世の果実に与ることによって、キリストにある善い業ができるのです。「私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか」(ガラ5:25)。

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