マリアに倣(なら)おう

il y a 9 jours | nac news | dans le groupe Japan (English)

イエス様の母親であったマリアは、非常にすばらしい女性でした。こんにちに至るまで、彼女は、信仰によって活気づく教会の象徴とされています。教会は、マリアのように、信仰が明るく輝くところでなければいけません。

2018年12月中旬、主使徒は、南アフリカのプレトリアを訪問しました。説教は、待降節の時期ということで、エリサベトとマリアという二人の女性の出会いが取り上げられました。この二人の女性は、どちらも有名な子を妊娠していて、どちらも天使と出会い、どちらも非常に敬虔でした。「私の主のお母様が私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び躍りました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ1:43-45)。

 

キリスト者になったのは偶然ではない

マリアはキリスト教会の象徴とされており、私たちすべてにとって、紛れもない、すばらしい模範であります。マリアは、自分の召されている事柄を信じました。そして最後までこれに従いました。私たちは、たまたま新使徒教会員になったわけではありません。神様が、目的をもって、私たちをお選びになったのです。この選びについて、疑うべきではありません!自らの言動を通じて福音を公に広めるために選ばれたのが、キリスト者なのです。キリスト教会のメンバーとして積極的に活動すること、言い換えればキリスト教会に奉仕することが、キリスト者の義務なのです。この義務は私たちに、生きる意味を与えています。この義務を成し遂げましょう。

信仰は証しをすることで深くなる

マリアも、信仰を奮い立たせなければなりませんでした。実際、彼女の信仰は厳しい試練に遭っていたのです。すでにイエス様が誕生される時まで、そして誕生された後の数週間も、マリアにとっては辛い時期でした。イエス様は、成人になって、奇跡をなさいましたが、イスラエル人をローマ人の支配から解放することはなさいませんでした。イエス様は支配しないどころか、無視され、処刑されてしまいました。それでもマリアはイエス様に従いました。いろいろなことがあっても、イエス様が十字架にかかるまで、従いました。主が死なれて復活された後も、忠実であり続けました。マリアは自らの最期まで、使徒に忠実であり続けました。なんとすばらしい、信仰の模範でしょうか!

こんにちと比較してみましょう。私たちは、イエス・キリストに従うことを、決意しました。神様の助けを体験することもしばしばありましたが、信仰があっても、苦しみを回避できるわけではありません。悪の力も体験します。それでもキリストに忠実であり続けるのです。

不可能が可能になる

神様は、不可能を可能にできます。このことも、こんにちのキリスト者にとって、試金石です。マリアは天使が言ったことを信じました。処女がイエス・キリストを懐胎することは、人間の理性では考えられません。イエス様の再臨において、花嫁たちが与る携挙*が、どのような形で成就するのか、説明できる人は誰一人おりませんが、それでも私たちはこの携挙を信じます。

証人となる

イエス・キリストの証人となることは、こんにちにおけるキリスト者の務めであります。証しの中には、大切なことが三つあります。それは、以下の通りです:

  • イエス・キリストは、贖いをもたらす
  • イエス・キリストは、御自分の民を御許に迎えるために、もう一度おいでになる
  • イエス・キリストは、御自分がもう一度おいでになった時の備えをさせるために、使徒に務めを委託された

私たちは、マリアからどういうことを学ぶべきなのでしょうか。マリアはある特別な務めを果たすために選ばれました。これと同様に、こんにちのキリスト者も、ある特別な務めを果たすために選ばれております。天来の選びは、偶然ではなく、周到な理由があるのです。それは、福音、特に主の再臨を証しすることです。

(1月29日ナックトゥデイより)

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