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一切の思い煩(わずら)いを神にお任せする

毎週日曜日、礼拝のひと時、日常の苦労を忘れることができます。しかし神様は私たちにさらにあることをしてあげたいと思っておられます。日常の苦労から完全に解放させてあげようとしてくださるのです。主使徒は最近の礼拝で、解放していただく中で私たちが自分の役割をどう果たせばよいかを説いております。

2020年7月26日、ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、コロナ危機による規制がかかっている中、ドイツのジーゲンで礼拝を司式しました。礼拝説教のためにペトロの手紙一5章7節が引用されました。「一切の思い煩(わずら)いを神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

この世のことを思い悩む

この世に関わる一切の思い煩いをイエス・キリストにお任せしなさい、というのは、当然のことながら、日常の課業を止めるべきだ、ということではありません。怠けるのは良くないですが、この世のことに私たちが…


5 hours ago | nac news in Japan (English)

あなたはどの神を信じるのか?

「一度くらい、どうってことないよ。」一つ一つの判断や決定の重みを軽減したり、もっと広い視野に立って考えたりするために、よくこう言います。確かに長期的に見て大切なのは、個々の判断ミスではなく、人間にある根本的な内面の価値です。

科学的報告によれば、人間は毎日、大体二万件の物事を判断するそうです。そのほとんどは気づかないうちに判断したり決定したりするほど些細な内容で、無論何時間も何日もかけて結論を出すようなものではありません。しかし人生において、本当に大切なことを判断する時や、立場を明確にして是非を表明する時がよくあります。その中には迅速かつ明確に決定できることもあれば、判断に熟慮を必要とするものもあります。

演説、議論、判断

紀元前1245年頃、こうした判断を、ヨシュアはイスラエルの民に要求しました。彼が百十歳で亡くなる直前、イスラエルのイスラエル全部族の長をシケムに呼び、そこで会議を行いました…


2 days ago | nac news in Japan (English)

交わりと音楽は当たり前のものではない

会衆の人々が集まって交わりをしたり歌を歌ったりするのは、決して当たり前にできることではありません。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒も、自らこのことを体験してきました。「当たり前ではなく、恵みなのだ」と主使徒は明言しています。

 


2 days ago | nac news in Japan (English)

主の再臨に備える

「とてつもない時には、とてつもない答えが必要です」とジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は言いました。その一つが「主の再臨に備えなさい!」ということです。これは、不確実性の時代に確信を与えてくれます。

この異常な時に、何度も問われます。「神様がこんなことを望まれたのですか。」「神様はどうしてこんなことをなさるのですか。」コロナパンデミックとの戦いによって被る、ありとあらゆる制約を言っているのです。こうした問いに対して、私はこう答えます。「こんなことをする神なんて、私は信じることができません。」神様が、人々を苦しめてやろう、たくさんの人が死ねばいい、たくさんの人が困ればいい、なんて思うわけがないのです。しかしこのパンデミックでも、神様による救いの御計画が妨げられることはありません。困窮や苦難に遭っても、神様は私たち一人ひとりが御国への道を歩み続けられるようにしてくださいます。神様は誠実なお方です…


6 days ago | nac news in Japan (English)

サクラメント(15):洗礼が行われる場所のお話

普通、洗礼は教会の中で行われます――と思いきや、必ずしもそうではないのです。教会の外、あるいは別の用途も兼ねた場所で行われた歴史が、少なからずあったのです。長い時を経て、洗礼は教会の中で行われるようになりましたが、わずかの期間また外に追い出され、結局また教会の中で行われるようになった、というお話です。

洗礼を受ける人も授ける人も一緒に水の中に入りました。その水というのは、人の集まる場所から遠く離れた池や湖などです。このことは、例えば使徒言行録で知ることができます。最初の二、三百年間、川や池――場合によっては自宅――で洗礼を受けました。

教会の扉の真ん前で

4世紀になり、キリスト教が国教となると、洗礼は教会の近くで行われるようになりました。やがて、洗礼に特化した「洗礼堂」という別棟の建物が、教会の西側、特に監督が住んでいた区域に造られるようになりました。

  • 監督が居住する区域にこの洗礼堂が造られたのは…

6 days ago | nac news in Japan (English)

キリスト者はキリストを宣べ伝える

初期キリスト教の会衆にとって生活世界とはどのようなものだったのでしょうか。そしてそれはこんにちにおける私たちのそれとどう比較することができるのでしょうか。使徒言行録2章42節に優れた考え方が示されています。ここに福音の価値がたった一文で列挙されています。8月の新使徒教会での礼拝では、この価値について検証します。

八月一週~四週目の礼拝内容は、使徒言行録2章42節に書かれている「福音の基礎」について考察します。「そして、一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。*1」

ひたすら告白する

もう少し読み進めると、初期のキリスト者について次のように書いてあります。「毎日、神殿の境内や家々で絶えずメシア・イエスについて教え、福音を告げ知らせていた。*2」(使徒5:42)。当初は使徒たちが至る所で――神殿でも、家庭でも、通りでも、広場でも――復活されたイエス様について宣…


10 days ago | nac news in Japan (English)

本当の豊かさをもたらす宝

昨年の晩秋、主使徒はマレーシアとミャンマーの会衆を訪問しました。今回の訪問では、教役者会が二回、東南アジア教区の使徒会議が一回、コンサートが二回、礼拝が三回行われました。

2019年10月30日(水)、主使徒はミャンマーで成長著しい地方都市の一つであるカレーミョを訪問しました。カレーミョとはビルマ語で「子供の町という意味があります。カレーミョはチン州に接しています。チン族とはミャンマー西部に住む部族の総称です。人口の80~90パーセントはキリスト教徒と考えられています。カレーミョだけで600を超えるキリスト教の教会があると言われています。

畑に隠された宝

ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は説教のためにマタイによる福音書13章44~46節を引用しました。「天の国は、畑に隠された宝に似ている。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をすっかり売り払い、その畑を買う。また、天の国は…


10 days ago | nac news in Japan (English)

この人に聞く2020/14:自分のため、人々のために善を行う

自分のために良いことをし、隣人には見返りを求めずに与える…。チチ・チセケディ教区使徒(コンゴ民主共和国南東部)がこのテーマを今年の標語に照らして考察します。

主使徒は今年最初のメッセージで、キリストの愛によって私たちは見返りを求めることなく良いことが自由にできることを強く説きました。今の人々はたいてい、自分に関係無ければ関わらない、自分の利益になるものだけを守る、などと人間にありがちな価値観や考え方に振り回され過ぎています。

キリストにある自由とは次のようなものではないしょうか。

良いことをしたいという気持ち。隣人だけでなく自分自身にも良いことができるようにするにはどうすればよいでしょうか。満ち足りたこの世の生活や繁栄のことを言っているのではありません。私たちの魂のためにできる良いこと、信仰生活のためにできる良いことを言っているのです。

  • もし再び教会に行かれるようになったら、ぜひそうしたいと思いま…

10 days ago | nac news in Japan (English)

2020年のペンテコステを振り返る

ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒の説教をYoutubeに3回に分けて掲載しました。下の写真をクリックすると1回目の動画に移動します。1回目が終わると、2回目、3回目のリンクが出るので、クリックするとそれぞれの動画に移動します。

 

 


14 days ago | nac news in Japan (English)

「今も神様は精力的に活動しておられる!」

外出禁止や追加の制限により、世界中の教会生活が行き詰まっています。なぜ神様はこのようなことをお許しになっているのでしょうか。主使徒はこの質問に、もっと意味のある質問で答えます。

下の写真かURLをクリックしてください。


2 weeks ago | nac news in Japan (English)

牧会(04):まず自分を、それから隣人を

強さは落ち着きの中に――いつもわかっていることです。時には教役者も十分な休息をとる必要がありますし、自分の話を聞いてもらう必要があります。


「あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせ、喉が渇いていたときに飲ませ、よそ者であったときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに世話をし、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタ25:35-36)。

このイエス様が言われたことが明らかにしていることは、牧会には多くの側面がある、ということです。とはいえ要は、牧会はそれを行うべき人物―――弱くない人や病気でない人や牢にいない人――だけができることです。

世話をすること――隣人だけでなく自分の魂の世話もすること――は現職の教役者一人一人の務めです。古い時代の忠告は今も通用するのです。

静かな所で休もう:「イエスは、『さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行〔くがよい〕』と言われた」(マコ6:31)。――イエス様を補…


2 weeks ago | nac news in Japan (English)

サクラメント(14):浸水と灌水の間

水は命です。そして洗礼は新しい命です。ところでこの洗礼には、どのくらいの水が必要なのでしょうか。それ以上に、どういう方法で執り行うのが望ましいのでしょうか。神学者がたどり着いた答えは三つです。そして考古学者は四つ目の答えを示しています。正しい答えは一つなのでしょうか。

キリストの洗礼:画家たちが着想を得るのに苦労してきた場面です。腰まで水に浸かっているイエス様を描いた作品もあれば、洗礼が行われている間も足が水に浸かっていないイエス様の作品もあります。これは不思議なことではありません。絵にするための見本がないからです!

もともと洗礼がどういう方法で行われていたのか、新約聖書にはほぼ書かれていません。例えば聖餐のように具体的に書かれている箇所は、四福音書にも使徒言行録にも使徒書簡にも――洗礼が制定された時期もさることながら――書かれていないのです。

文字通りダイビング

初期の教会で、浸水による洗礼が行…


3 weeks ago | nac news in Japan (English)

この人に聞く2020/13:自由な場所

この場所には名前があります。家とか故郷という名前です。あなたが素(す)に戻れる場所だからです。コンゴ民主共和国を担当しているミヒャエル・デップナー教区使徒が、今年の標語について所感を述べてくれました。

新型コロナウイルスの世界的流行により、私たちは皆、ある程度自宅で過ごすことに慣れてきました。制約はありますが、外出制限を体験したことについては、好意的に受け止めることができます。いろいろなものが不足しても、自宅にいればある種の自由が感じられます。自宅から離れたところにいなければならない状況を想像してみましょう。現に一部の人々はそういう状況にあります。(休暇や仕事で)旅行中の人などです。

訪問客への一番の言葉がけに「どうぞごゆっくりおくつろぎください」というのがあります。英語ではMake yourself at home.という表現があります。直訳すれば「ご自宅にいらっしゃるような感じでお過ごしく…


3 weeks ago | nac news in Japan (English)

この世でもあの世でも同じ救いを

この地上であれ陰府の領域であれ、苦しいのは同じです。しかしその解決法も同じなのです。イエス・キリストは私たちの霊的貧困を緩和してくださいます。今回はその七つの方法を紹介します。

「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒4:12)。2020年7月5日、主使徒による故人のための礼拝はスイスのチューリッヒで、この基調聖句で行われました。

この聖句には次のような背景があります。すなわち、生まれつき足の不自由な男を、ペトロが癒しました。その様子に驚いた群衆に向かって、これが自分の力ではなく、イエス・キリストを信じることによってはじめてできることである、ということをペトロは説明したのです。

ペトロが行っていた務めは、こんにちの使徒職にもあります。使徒職には次のことを宣教する義務があります。「イエス・キリストはメシアであり、イエ…


4 weeks ago | nac news in Japan (English)

有名な女性による勝利の踊り

聖書によれば、彼女はかなりの有名人でした。踊る女預言者であったミリアムは、ユダヤ教において、こんにちに至るまで、好意的な意味で、重要な女性とされています。男が支配する世の中の時代に暮らしていた彼女ですが、非常に目立った存在でした。

紀元前1300年頃のことです。ファラオ*と彼の軍隊はモーセとイスラエルの民を追っていました。そして公開で決定的な出来事が起こります。イスラエルの民は自由を得、長い間待ち焦がれていたエルサレム帰還の旅に出ることができたのです。故郷への内なる思いがとても強かったミリアムは、タンバリンを手にし、賛美の歌を歌い始めました。「主に向かって歌え。/なんと偉大で、高くあられる方。/主は馬と乗り手を海に投げ込まれた」(出15:21)。古代に歌われたこの歌は長さこそ短いものの、歴史文化を考えれば、かなりの内容が込められているのです!イスラエルに対するミリアムの歌は、魂から出たもので…


4 weeks ago | nac news in Japan (English)

サクラメント(13):「子どもたちが私のところに来るのを妨げてはならない。」

洗礼を受けることによって、死刑の評決を下した人々もいれば、「千年の平和王国」を自分で築こうとした人々もいました。そしてこんにちに至るまでたくさんの教派があるのも、この洗礼をめぐる問題がきっかけでした。

そして宗教改革が、従来の流れが急激に変わることになります。1520年代初頭、チューリッヒとシュトラスブールが、宗教改革に失望した人々による運動の、最初の拠点でした。この人たちが望んだのは、教会が国家から完全に自由となることでした。彼らはあきれていました。偉大な宗教改革者たちの取り組みといっても、自分たちから見たら中途半端でしかなかったからです。

宗教改革者のうち急進派は、幼児洗礼の例が新約聖書に見られないということで、それまでの洗礼を無効と判断し、自発的に信仰告白する成人だけに再洗礼をし始めました。プロテスタントの諸侯や都市はこれに反応しました。すなわち1529年、シュパイアーの議会は彼ら――自…


5 weeks ago | nac news in Japan (English)

目を開き、立ち上がらせ、解き放つ

ソーシャルディスタンス遵守のため、ドイツのカールスルーエの教会には180人の出席「しか」ありませんでした。主使徒は、この困難な時に会衆を力づけ慰めるためにぴったりの言葉を探し出しました。

詩編146編が聖句として選ばれてから、主使徒の説教はすでに概略が決まっていました。「主は捕らわれ人を解き放ち、/主は見えない人の目を開き/主はうずくまる人を立ち上がらせ/主は正しき人を愛される。」

「捕らわれ人」という言葉を聞くと、何か深刻なことをして、その罰として禁固刑や懲役刑を受けている人という印象を、否が応でも受けてしまいます。しかし、旧約聖書でいう「捕らわれ人」とは必ず戦争による捕虜を指します。ある国に勝った軍隊は、人々を戦利品として捕らえて強制的に移送します。人間は堕罪以来、自由ではありません。罪の支配下にいます。私たちは捕らわれ人です。捕虜となっている私たちを解放しようとしてくださるのが、神様です…


5 weeks ago | nac news in Japan (English)

忠実かつ正しい聖書活用

説教、牧会、教導――どれも聖書を基準として実践されます。とはいえその聖書の教え示していることは、必ずしも明確でないことがあります。聖書が言っていることと言っていないこと。教役者以外の方々にも指針になります…。

最新の英語版コミュニティおよびドイツ語版季刊誌Unsere Familieで、ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は「聖書の教示に従う」と題した、教理に関する論説を発表しました。〔日本語翻訳は9号に掲載予定。〕もともとこの論説は、2016年10月の教区使徒会議で扱われた議題をもとに「礼拝指針」2017年特別第三号に掲載されたものです。
現在のこの世界で聖書を適用する
「使徒やほかの教役者が行う宣教は、常に聖書と一致していなければいけません!」主使徒はこのように明言しています。つまり、聖書の言葉は現代においても当てはめることができ、現代においても聖書を参考にできる、ということです。聖書を参考に…


5 weeks ago | nac news in Japan (English)

困難な時に神を体験する

神に渇く、という表現はあまりなじみのない言い方で、何か抽象的な詩のような感じに思えるかもしれません。実際、これは詩編という詩の言葉で、守り支えてくださる神様が寄り添ってくださるのを心待ちにする表現です。恐怖の日々の中で、素晴らしい所感をお届けします。

ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は2020年6月21日、ドイツのバート・ゼーゲベルクにおいて、礼拝を司式しました。聖句は詩編42編3節が引用されました。「神に、生ける神に私の魂は渇く。/いつ御前に出て、神の御顔を仰げるのか。」

この聖句ほど今の時期に適切な言葉はないでしょう。今回の聖句である詩編の著者も、困難な時代を経験しておりました。苦しみを受け、敵にあざけられました。神様と出会うためにエルサレムの神殿に行くこともできませんでした。まったく絶望的な状況でした。しかしこの詩編の著者は何をしたでしょうか。神様への信仰・信頼を奮い立たせたのです…


5 weeks ago | nac news in Japan (English)

この人に聞く2020/12:自由は、神からいただく最高の賜物

自由は、神様から代価無しでいただける賜物です。しかし神様はその自由を私たちに強制なさいません。自由を求める人を解放するだけです。今回はエディ・イヌスグロホ教区使徒(インドネシア)の体験談です。

ある水曜礼拝のことです。礼拝後、私もよく知るある牧司が出席されなかったことに気づきました。聞けば、何週間も病気を患っているとのことでした。お見舞いに行こうと思いながらも、夕礼拝が終わって夜も遅いので今か行くのはどうかと思いました。しかし気持ちに促されて、奥さんと電話で話したところ、すぐに自宅に来てくださいと言ってくださいました。牧司にお目にかかった時、とても衰弱した様子でしたが、明るい表情でした。牧司は自分の健康のことを教えてくれました。医者のところへ行って何度も入院したが医者からまだはっきりした診断が出ない、とのことでした。

しかし実際に牧司が悩んでいたのは、邪教に囚われていたことでした。彼は次のよう…


6 weeks ago | nac news in Japan (English)

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